【僕のサッカー人生を振り返ってみる。⑥】

こんにちは。

久々にフルコートでの試合をして、かなりの疲労感に包まれています。

コーヒーとご褒美のスイーツを食べながら、言葉を綴りたいと思います。

 

今日は大学サッカーを基に振り返り、考えていきたいと思います。

 

ばかレベル高い。

ありがたいことに、大学進学にあたって、県1部のチームからはいくつかお話をもらっていました。

自分を必要としてくれたことに関して、非常にありがたいですし、こんな実力もない自分が断るなんて肩身が狭いような思いでもありました。

しかし自分は関東2部リーグに所属する、拓殖大学への進学を決めました。

監督からは『お前が関東リーグなんて通用しない』そう言われました。

自分はプロサッカー選手を目指していた。だからレベルの高い環境を求めることは必然なことだった。

地方の大学への進学も視野に入れてました。そこそこ力のあるチームなら、地方のクラブとピンポイントにコネクションがあると思ったから。

それでも拓大を選んだのには、これが自分の中で1番厳しい道だと思ったから。

拓大以外の選択は、何だかその先がイメージができてしまったんですよね。

自分が求めていたのは、ヒリヒリとした刺激と、想像を絶するような毎日でした。

先が見えてる人生なんて嫌で、チャレンジャーとして自分にふさわしい選択をしたと思ってます。

 

やっぱりレベルの高さには驚かされた。

選手権出てるチームから普通に入ってくるし、Jで2種登録されてる奴らもいた。

特に自分はボランチだし、プロみたいな奴らばっかりで度肝抜かれた。

ボールの持ち方が違う。判断のスピードが違う。目何個ついてんのって真剣に思った。

こんな中で自分を磨いていける。技術に関しては本当に底辺。その中で自分がどこまでやれるかだった。

 

大学サッカーのリアル。

入学して1ヶ月くらいかな。

ん?って思うことが多くなった。

練習にこない奴がポツポツ現れて、練習の士気もちょっとずつ下がっていく。

開始2分前くらいにサンダルでタラタラ歩いてくる奴、酒臭いやつもいる。

大学ってこういうところなんだ。

純粋にサッカーだけをやって来た人間が初めて痛感した。

意識の高い人間と、低い人間のギャップ。

 

でも驚くのがこれから。

そういう奴らに限ってサッカー上手いんよ。経歴があるんよ。

俺このポテンシャル持ってたら、もっともっとやるよ。そう思う選手が沢山いる。

俺はこういう選手に負けて試合に出れない、上にいけなかった。

それがまじでまじで悔しかった。こいつらより、ずっとサッカーのことを考えて生活してる。

全てをサッカーから逆算してサッカーやってんのに、頑張ってんのに評価してもらえないんだ。

結局は自分の実力不足が生んだ結果なのは分かりきってる。ただ悔しさから他責にしてしまうことが多かった。

 

この時に思ったんよね。

頑張って結果を残すというより、どうやって結果を残すかなんよね。

受験勉強でさ、何でもひたすら問題解けばいい訳じゃないじゃん?

それぞれ行きたい高校も違えば、自分に合った勉強法もある訳じゃん?

寝ずに頑張って勉強するって響きは超かっこいいし賢明かもしれないけど、そのせいでやってること頭に入ってなきゃ何の意味もないわけよ。

 

空きコマとか外部でガンガン練習してたし、それが正義だと思ってた。

大事よ、大事なんだけど、今の自分は頑張る力は持ってる。

必要なのは考えて合理的に結果を出すことなんだなって。

それは21歳になった今でも持っていない力。きっと永遠の課題だな。

 

2年間公式戦出場合計時間100分。

大学2年までの出場時間だ。

そのうち先発出場が1試合。

もちろんトップチームに関わることもなければ、Iリーグと言ってBチーム以下のリーグ戦。

学生スポーツは試合に出ることが全てではない。分かってる。

ただプロサッカー選手を目指している以上、先行きが不安になる要素が多かった。

 

同期が少しずつ結果を残したり、トップチームで試合に出てる中、それを外から見ることが辛かった。

チームの一員として相応しくない、チームの勝利を気持ちよく受け入れられなかった。

それだけではなかった。

 

関東大学サッカー連盟

これに属することになってしまった。通称、学連。

簡単に説明すると、選手をやりながらスタッフをやるようなことだ。

拓大はマネージャーも少なくて大変で、チームの台所事情はかなり厳しかった。

自分がこれに入った経緯を包み隠さずに言うと、反強制的である。

別にチームを悪く言うつもりではなくて、お前に決まったと長期に渡り交渉をされたからである。

正直やりたくなかったし、頼むから他をあたってくれと思っていた。

ただ、人として評価してもらったことは自分にとって嬉しくて誇らしいことであって、チームの苦しい状況を見て見ぬ振りなんてできなかった。

最初は選手として評価されなかったことに対して、自分に苛立ちを感じていた。

もし自分が選手としてもっと魅力があれば、今頃はトップチームにいたと思うし、学連に荒ばれることはなかったなって。

でも段々と思って来たのは、選手としては別だよなって。

学連に所属しててもトップチームで試合に出る人はいるし、単なる実力不足を学連のせいにしてはいけないなって。

 

主な仕事は関東リーグの運営。毎週の土日は自分の練習より学連を優先しなければならない。

水曜日の夜に御茶ノ水の事務所に行きミーティングがある。

自分の場合は金曜日にリーグ戦の用具の準備があった。

朝練があって睡眠時間を重視していた自分にとってかなり厳しい条件だった。

でも学連には、学連に入りたくて入った人もいたり、そうでなくて大学サッカー界を変えたいって思ってる熱量を持った人もいる。

だから弱音なんて吐いてられなかったし、学連に対して意識が低い自分のままでいいのだろうかと思ったりもした。

 

それでも自分は学連を好きになれなかった。

その理由として、チームメイトからの理解を得られなかった。

こっちが必死こいて仕事をしてる中で、たった1回の審判講習を受けてもくれない。

たった1回の運営に遅刻してくる、居眠りをする。

冷やかしで、『いいなー学連。(笑)』とか言ってくる奴もいる。

御茶ノ水に住めばいいじゃんとも言われたことがある。

いやいや、こっちだってやりたくてやってるんじゃないんよ。

このチームのために犠牲にしてるものが沢山あって、それを理解してくれるチームメイトが少なかったことが何より悲しかった。

何でこのチームメイトのために俺が動いてんだろって思ったし、段々と自分がわからなくなって来た。

 

関東大学サッカー連盟。って組織は本当に素晴らしい人たちがいる。

大学サッカー界を支えているのは、紛れもなく学連であって、学連無くしては成り立たない。

今シーズンの関東リーグは流経大で集中的に行われてて、流経大の選手たちも多くの協力をしてくれているそうだ。

こうやって光にならない場所、影になっている場所がもっともっと評価されるべき。

ゴミ持ち帰らないとか、運営に来ないとか論外すぎる。

今ここで言うのもどうかと思うけど、もっと感謝して欲しい。

これが学連を途中で投げ出してしまった自分からの切実な願いです。

 

環境を変えたい。

そう思った。

今の環境、立場、自分の成長スピードでプロサッカー選手になれるのかと。

そもそもサッカーやりたいのかな?って。

ちょうどその時期くらいに、大学のゼミでマレーシアに行って国際協力をしたこともきっかけだ。

それに関してはまた後日話そうと思う。

ここで2つの選択肢を持った。

①サッカー部を辞めて、サッカーも辞めて、国際協力の道に進む。

②サッカー部を辞めて、サッカーは海外で続けて、サッカーと国際協力を上手く掛け合わせる。

どっちにしろサッカー部を辞める決断には変わりなかった。

そして決断した3日後にサッカー部を辞めた。2020年の2月の話だ。

そして3月に決断する。

 

サッカーを続ける。

②を選んだと言うことだ。

国際協力とは言うものの、まだまだぼんやりしている。

まずはプロのサッカー選手として契約をし、選手としてのキャリアを積むこと。

他への還元はそれからだと考えた。

同時に大学を辞める決断もした。大学に通う理由がなくなったから。

お金もかかるし時間も使うことになる。

それなら自分のこと全てに時間を使おう。

その結果として7月1日にラオスでプロサッカー選手として契約することとなった。

 

ざっくり大学を振り返るとこんな感じです。

2年半くらいの短い大学生活でしたが、またこれも色々なことがありましたね。

これまでが学生生活、今までを振り返ってと言うところです。

 

これからの投稿は、現状であったり今後のことについてお話していこうと思います。

ありがとうございました。

 

2020.9.14 渡邉 宰