【 平和記念公園。原爆の事実を目の当たりにして。】

 

 

 

こんにちは。

 

 

終始鳥肌が止まらなかった。

これは紛れもない事実です。

 

1945年8月6日からの記録。

もっと言えばその前からの広島の情景。

心が痛くなる。見てられないくらいショッキングな映像と写真。

衝撃が常に走ったし、でも見といて良かったって思える自分もいた。

 

爆弾が落ちた直後の当時の写真と証言を、こと細く見た。

今までに見た事のないような色鮮やかな光線が目を刺す。

その何秒後かにお腹に強烈な刺激のくるような音が。

空からは黒い雨が降り注いだと。

少し離れた空を見ると、空が黒みのかかった朱色だったと。

必死に叫び気力を尽くし走り続けたと。

足の裏の皮膚はただれ、周りを見渡せば倒壊した家の下敷きになってる人も。

誰かをかばえば自分が助からない。

まさにそういう状況だったと。

水が欲しいと無気力な母にすがる姿。

カメラマンによると、20分くらいシャッターを切るのを迷ったという。

あんなにも綺麗な煙は後も先もないだろうと。

 

助かったとしてもかなりの後遺が残ると。

放射線による病で後に命を落とす人も少なくない。

火傷の痕が痛々しいほどに残る。

皮膚がなくなり骨まで見てしまうほど。

 

治療と言っても当時の医療と病床なんてたかが知れてる。

簡易テントとブルーシートを張って、質素な医療現場であった。

遺体安置所も目にした。

後の見つかった多くの遺骨も。

街一面が更地になった広島。

絶望とか壮絶とか、それ以上の言葉があるのであればそれに当てはまる。

 

変な話、火事なんて可愛く思えちゃう。

 

当時を生き残るならば、後遺を抱えるのならば、

俺だったら死んだほうがマシだったと思ってしまうかもしれない。

当時を生き残って、現在もなお生きている方。

多くの亡くなった人の意思を受け継いだでしょうね。

希望だろうね。

あれからずっと伝えてきたんだから当時を。

なんて言葉で簡単に俺が言えるようなものでもないのは分かってる。

言語化できる何かを感じたわけでもないし、

ただ終始鳥肌の立っていた俺の感性に嘘はないと思う。

争い事なんて絶対にしちゃいけないと思ったし、それを平気でしてきた昔の人間に苛立ちも感じるような不思議な感覚にもなった。

 

これを見れて良かった。

そそ気持ちにも嘘はない。

むしろ今までこれを知らなかった自分に情けなさも恥ずかしさも感じる。

同じ日本でこんな事があった。

伝えていかなきゃいけない。次の世代に。

そして自分も忘れちゃいけない。

今を当たり前だと思っちゃいけない。

『世界平和』なんて大きいことに俺は何も貢献できないかもしれない。

今もこの先も微力かもしれない。

でもこの感性を生かすか生かさないかは本当に自分次第だし、

何か人生の鍵とか踏ん張る理由になるんじゃないかな。

そうやって誰かの為に少しでもなる事。

それが亡くなった方達の望みなんじゃないかな。

 

最後に1945年8月6日の広島市への原爆投下で亡くなられた方へ、心からご冥福をお祈り致します。

 

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2020.11.12 渡邉 宰