こんばんは。
環境を変える事。
これが結果を生む事もある。
それを生きていく上で自覚しておくべきだ。
小6の時、地元を離れ私立の埼玉栄への進学を決めた事。
大学進学にあたっては、知り合いのいない拓大を選択。
この2つの選択が正解だったか、不正解であったか。
今でもそれは分からない。
ただ、結果が出たかどうかの視点でいくと、不正解であった。
結果が出なかった。そこに間違いはない。
その中で今年は更に大きく環境を変えた。
学生という自分を守ってくれる環境を捨て、サッカー選手としての道に挑戦する。
学生なんて素晴らしいくらいに居心地が良い。
学校に行けば授業が受けられ、友達がいて、学食がある。
守られてる。安心感がある。学歴という味方をつけてるわけだし。
これは学生に対する冒涜でもなければ、充実しなかった俺の学生生活から来る嫉妬でもない。
どっちも経験した上での俺のリアルな感性である。
環境を変えると、周りは注目してくれる。良し悪しあるが。
良しで挙げると、称賛や激励。
これは非常に励まされる。
悪しであれば、アンチというのが正しいか。
学歴どうこう、親不孝だの色々言われた。
別にこの意見も間違ってはないとも思うし、俺の原動力でもある。
後者である悪しに対して、やっぱり気にする時期がある。
俺も実際に苦しんだ。キツかった。笑
それでもやっぱ慣れてくるもんだし、自然と気にしなくなる。
今年の決断に話を戻すが、
そう、大学を辞め、海外に挑戦した事により、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせる事ができた。
もちろんプロの定義は様々で、自論は多くあると思うけど、一応キャリアはついた。
これは大学という居心地の良い枠組みを捨て、
大きく環境を変えようと行動した事によって生まれた結果。
そう、結果としてついてきた。正解である。
て事はよ、小6の選択も大学の選択も、過程となって正解に繋がったわけよ。
さっき悪しについて触れたけど、逃って言われた事がある。
でもそれって全然逃げじゃなくて、今の環境に留まるよりよっぽど勇気のいる決断だったと思う。
俺は日本では箸にも棒にもかからない選手だった。
でも環境を変える事。
ラオスという国に挑戦した事によってプロとしてのスタートを切れた。
この世界中には70億人とも言われるくらいの人がいて、
今自分の身の回りにいるたった数人に認められない。そんな事全くもって問題ない。
やり続けてれば誰かが認めてくれるし、誰かが見ててくれる。
環境、世界、スポーツ、など様々なジャンルで成り立ってるこの世の中で、
少しでも変化を加えれば、結果は自ずとついてくるんじゃないかなって思う。
だから。やり続ける事に意味がある。
そう思うし、まだまだやってこうよ。
それでは。
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2020.12.22 渡邉 宰