こんにちは。
学生時代の美術の成績は悪かった。
絵心もなければアイデアも欠如。
そんな俺が、今日はアートについて書こうかなと。
前置からは全く感じ取れないが、
実は美術館に行くのが好きだったりする。
月曜の休みを利用して、何度か都内の美術館に行った事がある。
もちろん、有名な絵画が飾られてる展覧会に行くだけだが。
全くの素人だから、コアな方が分かるような絵だったり、技術や繊細さなんて全くの無知。
じゃあなぜ好きなんだろう。
少し飾った言葉にするのであれば、言葉なしで人の感情を揺さぶる事ができるから。
作者の感情や背景にあるものたちを、1枚の絵から読み取る。
感じ取れるものは、まさに千差万別であり、だから面白い。
形として残り続ける事にも魅力を感じる。
稀にあるケースで、作者が亡くなってから作品が有名になる事。
これも素晴らしいよね。
きっと本人は生きてる時に売れて欲しかっただろうけど(笑)
でも、後世としてその絵画を見てきた俺らは、
その作品たちから作者の人柄だったりを想像する。
答えがなくてミステリアスな感じで、これもまた魅力を感じる。
じゃあここで、アートと呼べる定義って何だろう。
この世の中には、きっと数字にできないほどの作品が存在してて、
小学校の時に書いたあの作品から、
試合中に起こったスーパープレーをアートと呼ぶ人もいれば、
壁に刻まれた落書きもそうだ。
ひとつ参考程度に、俺の考えるアートの定義は、
誰かの心が動いたのなら、その人にとってそれはアートであるという事。
簡単に片付けてしまえば、人それぞれである。
抽象的で保守的な意見かもしれない(笑)
でも考えてみて欲しい。
何十億円もの金額の絵に心を動かされる人もいれば、
市内のコンクールの小学生の作品に心を動かされる人もいる。
そこに私情が入ってくれば尚更分散するはず。
壁に描かれた落書きを見た人間は不快になるかもしれないが、
描いた本人からすれば上手くかけた力作かもしれない。
誰かにとってはスーパープレーかもしれないが、
誰かにとってはスーパープレーである。
それら作品をアートと呼ぶか呼ばないかは自分次第であって、
みんながダヴィンチやゴッホの作品を素晴らしいと感じるとも限らない。
絵画でもいい。
勉学でもいい。
スポーツでもいい。
言葉でもいい。
何でも、誰かの心を動かす事ができれば、
俺は立派なアートなんじゃないかな。
俺自身が、万人ウケするようなアートになれなくてもいい。
誰かにとってのアートになれれば嬉しい。
そう思って生きる事も素敵な価値観だと思います。
それでは。
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2021.1.23 渡邉 宰