こんにちは。
あれから10年が経ちましたね。
みなさん昨日は例年以上に、
各テレビ番組、ネットニュース、ブログ内の記事にて多く目にしたのでは。
僕も、自分なりの思いを綴ってみようと思います。
まだ自分が小学5年生の時だったかな。
5時間目の総合の時間が始まってすぐ、強烈な揺れがきた。
慌てて机の下に隠れた。防災頭巾をかぶって。
1分くらいの揺れが続いた気がする。
先生が腰を抜かして机の下に潜ることすらできなかった。
後ろの水槽から水がなくなるくらい溢れて、飼っていた金魚も外に出た。
その後は、速攻放送が入って避難開始。
うちの学校は避難訓練を頻繁にやる学校だったから、校庭への避難はスムーズだった。
校庭から見た何度か続く揺れで、後者が動いてるのが分かった時に、
大勢の児童の泣き声が入って来た。
何だろうなあ、それでもあの時は楽観的だったんだよな。
早く下校になったから、早く家に帰れて校庭に早く行って、
早くサッカーできる。そんな考えだった。
事の重大さも分かってなかった当時の自分に、今は情けなさすら感じる。
テレビであれから何年、、、とか流れてくるごとに認識する。
それが今の日本人の多くが認識している現状で、自分もその中の多くの1人だった。
高校の時に仙台に遠征に行ってたけど、正直遠征のことでいっぱいいっぱいだった。
そんな中で大学のサッカー部を通して、1年の時に釜石へ行った。
サッカー教室を開催して、被災地の中高生たちとサッカーをした。
実際に被災された地に足を運び、更地を目にして胸が痛くなった。
道路もボコボコで完全な復興まではまだ程遠い。
現実はそうだった。
自分が忘れかけた頃でも苦しんでる人たちは沢山いて、
それでも前を向き胸を張ってサッカーに打ち込む彼らに感銘を受けた。
やっぱり行かなきゃ何でも分からない。
比較するのは間違ってるかもしれないけど、俺より何百倍も辛い目にあってる。
正直、自分が勇気だったり元気をもらえた気がした。
自分が思ってるより、東北の人たち強かった。
俺なんかより全然辛かった。
じゃあ何が自分にできるんだろう。
考えた時に、自分で出した答えは、『今後も足を運ぶ事』だった。
この事実を忘れない事。
自分の心に深く刻んでおく事。
風化させない事だった。
去年も東北に足を運んだ。
陸前高田の伝承館、奇跡の一本松、遺構建造物。
生でしっかりと認識する事。
俺は埼玉に在住だし、震災の事は全く分かってないと思われると思う。
でもそれじゃいけないと思うし、これからこの震災自体を知らない世代が出てくる。
後世にしっかり伝える事。
そして自分が忘れずに持っておく事。
これが自分で出した答え。
今年もこのような状況下であるけれど、
時間と都合が許す限り、しっかりと足を運びたいと思う。
それでは。
2021.3.12 渡邉 宰